Seiko-Jiro.net

HOME   NEWS   FORUM   LINK   ACCOUNT   CONTACT US  

メインメニュー

ニュース・アーカイブ

ログイン

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失

メイン
   つぶやき
     41年目(1968年3月16日)・・・・ベトナム ソンミ村の虐殺
投稿するにはまず登録を

スレッド表示 | 古いものから 前のトピック | 次のトピック | 下へ
投稿者 スレッド
seiko
投稿日時: 2009/3/17 23:22
管理人
登録日: 2003/9/21
居住地:
投稿: 3623
Nさんから・・・・.

(2002年春撮影、1968年3月16日ここに米軍のヘリが着陸しました。)

友人のNさんからメイルをいただきました。
吉岡忍さんと訪ねられたときのことを・・・・。

✰✰✰✰✰✰✰✰✰✰✰✰✰✰✰✰✰✰✰✰✰✰✰✰✰✰✰

2002年、僕も吉岡さんと一緒に取材でソンミ村を歩きました。
漁村と農村の入り混じった夏の集落。のどかな光景でした。
あの時、僕は米兵の気分になって、砂地の農道を一人歩きました。
例えばアメリカの片田舎から亜熱帯の異国の地に踏み入れたら
恐怖との遭遇だったのかも知れない。
そのブッシュからベトコンが飛び出してくるかも知れない・・・。
自分を守るのは銃しかなく、動くものは何でも発砲する。
彼らはそんな心理状況ではなかったのか。
おそらく中国を侵略した日本兵も同じではなかったのか。
自分を侵略する側に置き換えた時、背筋が凍る思いがしました。
無論、殺戮しまくった彼らを擁護したり、加害責任を無視する
つもりはありません。
確か「戦争の心理学」という本だったように記憶していますが
戦争とは「ふつうの市民」が「ふつうの市民」を殺しても
何とも思わない兵士を作りだすというくだりがありました。
ソンミ取材のあとアフガンにも飛びましたがカブールで出会った
北部同盟の兵士はサンダルはいた田舎のあんちゃん風でした。
一方、アメリカでは最新鋭装備の軍事演習を取材しましたが
不思議なことに末端の兵士はお互いとも同じ顔の表情をしていました。

深夜、そんなことを思い出しながらパソコンを叩いています。
新宿西口でまだまだ頑張っていらっしゃることでしょう。
そのうち、ひょっこり声をかけますね。<N>
seiko
投稿日時: 2009/3/15 23:57
管理人
登録日: 2003/9/21
居住地:
投稿: 3623
41年目(1968年3月16日)・・・・ベトナム ソンミ村の虐殺


1968年3月16日、アメリカ軍がソンミ村で、一気に504人の村民を虐殺しました。



私は2002年の春、そのソンミ村を旧ベ平連の皆さんと訪ねました。






美しい風景の中の樹々には銃弾の痕が・・・。
小川の中でたくさんの方が殺されその死体の中で
息を飲んで助かったご婦人、当時小さな子どもだった
この資料館の館長をされている男性から証言をお聞きしました。
いまでもその時の静けさをすぐに思い起こすことが出来ます。
それは、忘れられない記憶になりそして奮い立つ勇気になりました。




お話を聞いたあと、あの あぜ道 へ行きました。
子どもたち、女性、大勢の村人の痛ましい姿が・・・
何度も見た写真のそのあぜ道を歩きました。

http://www.jca.apc.org/~yyoffice/
吉川勇一さんのサイトに「ソンミを振り返る」
という翻訳が掲載されています。
まだ、お読みでない方はぜひ、訪ねて読んでください。

ベトナムの旅にご一緒した 山田 佐世子さん が書かれた記事。



村の子どもたちの無邪気な声にすくわれる思いがしました。
あの日から41年が経つのです。
あのベトナム戦争から何を学んだのでしょうか。
周りを見渡して考え込んでしまいます。
でも、諦めないで歩きましょう!
ベトナム ソンミ村の虐殺を忘れないで・・・。
(09-03-16・おおきせいこ)写真撮影:大木茂
スレッド表示 | 古いものから 前のトピック | 次のトピック | トップ

投稿するにはまず登録を
 

「明日も晴れ」記事検索

平和!グッズ販売



Site Design by West Wind,Theme from Ocean-Net