メイン つぶやき 私に出来ること・・ビルマ(ミャンマ)の事態に!★10月6日更新!★ゴン太さんのブログ! | 投稿するにはまず登録を |
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seiko | 投稿日時: 2007/9/27 22:13 |
管理人 登録日: 2003/9/21 居住地: 投稿: 3623 |
インドに亡命したビルマ人ジャーナリストたちが作ったMizzima News★28日更新 ☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀
詳しい抗議行動の日時等がわかります。 http://www1.jca.apc.org/pfb/whatsnew.htm ☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀ ネット上の締め付けが一段と厳しさを増しています。 きのうまで大丈夫だったのに今日はアクセスできないブログがあったり。 でも、ありとあらゆる手段で発信してるんでしょうね。 これは27日にYouTubeに投稿されたケータイ映像です。 とkiss-meさんが届けてくれました。 http://www.youtube.com/watch?v=0heX0k8pnB0 「MONKS PRAYING SOLDIERS SHOOTING IN BURMA」 ★日本にも同じような光景があった1969年「 地下広場」 に。 ☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀ kiss-meさんから届いたメイル。 彼女が翻訳したMizzima News記事。 MizzimaNews 9/27 10:40a.m ビルマ軍がNgwe Kya Yan寺院を急襲、僧侶を逮捕 ラングーン市内のSouth Okklapah地区にある同寺院が夜間にビルマ軍の急襲をうけ、 数人の僧侶が逮捕された。伝えられるところによれば、政府職員が寺院の電話回線を遮断していた。 10:50a.m 軍政が僧侶を強奪者と非難 ビルマ軍政の広報紙「ニュー・ライト・オブ・ミャンマー(ミャンマーの新しい光)」が 火曜日に抗議行動を行った僧侶らが、ラングーン市内すべての地区で家々を訪れ 「強奪者(あるいは強要者)」のように金を要求したと報道。 しかし、僧侶の名も、強要が行われた場所や時間もなく、 ただ、抗議に参加できない家族に僧侶が金や施し物を要求していると書いているのみ。 11:00a.m 軍政が抗議行動への注目をそらすための措置を強化 ビルマ軍政が凶漢(あるいは、殺し屋、ごろつき)を雇って仏教僧に仕立て上げ、 イスラム教のモスクを破壊するよう命じたという噂が広がっている。 イスラム教徒と仏教徒のあいだに宗教的な違いを理由とする暴動を起こすため。 11:10a.m 軍政は昨日のデモ弾圧で、男性一人が死亡、ほか三名がけがをしたと言っている。 しかし、AFP通信は政府職員の話として、この残忍な弾圧で三名が死亡したと伝えている。 11:30a.m ビルマ軍政、寺院を急襲、200名以上の僧侶を逮捕 雪だるまのようにふくれあがる僧侶のデモを堰き止めるため、当局は木曜の早朝、 South Okklapah地区のNgwe Kya Yanを含む少なくとも5箇所の寺院を急襲し、200名を超える僧侶を逮捕した。 現地時間で木曜朝00:15、Ngwe Kya Yanの壁を治安部隊が破壊。 治安部隊と僧侶たちが衝突するなかで、数名の僧侶がけがをした。 「血の出ている僧侶が車両に無理やり押し込まれた。 隠れることができなかったんだ」と現地住民がMizzimaに話した。 昨夜の二時間にわたる急襲中、僧侶は警報ベルを鳴らし、助けを求めて叫んでいた。 しかし、軍が発砲すると言ったので、市民たちも敢えて僧侶を救出しに行くことはしなかった。 「寺院の中から人を殴る音や叫び声が聞こえた」と、寺院の隣に住む住民の一人がMizzzimaへの電話で言っている。 時を同じくして、軍はラングーン市内各所で他の四つの寺院を襲い、数名の僧侶を逮捕した。 消息筋によると軍が襲った寺院は、Chaukhtatgyiパゴダの六階建てのReligious Science Monastery、Yan Kin地区の Moe Kaung Kin onastery、Thingankyun地区のMingin、Thein Phyu地区のThein Phyu monasteryで、 数名の僧侶が逮捕された。 11:55a.m スーレーの準備作業 兵士や治安部隊がラングーン市中心部にあるスーレーパゴダ近くの 市役所から出てきて、道路を封鎖した。 近くの市民に退去を命じたあと、一列に並んだ兵士が行進するのが見られた。 少なくとも12台のトラックと7台の消防車が、市役所の向かいに あるスーレー公園近くに駐車している。 12:34p.m 官庁は開いているが、公務員らは勤務時間内の外出を制限されている。 ほとんどの民間企業、店舗、学校は閉まっている。住民によると、 ラングーン市内の公共バスの便が著しく減数されているという。 12:45p.m 僧侶に先導されたデモ隊がAnawrattha通りを行進している。 何千人もの人々が僧侶の後についていくのが見える。 治安部隊が近づき、デモ隊に迫っている。 12:55p.m ラングーン市中心にあるスーレーパゴダを囲むすべての通りに、 有刺鉄線のバリケードが張られた。 Mizzima News 9/27 1:30p.m Swan Arrshin(治安組織の一部のようです)と兵士による僧侶の逮捕につづき、 ラングーン市内のKanbe街区が緊迫している。 1:35p.m デモ制圧には殺虫剤が使われる デモ行進の僧侶や人々に対する催涙弾の影響がたいしたものではなかったため、 ビルマ軍政は殺虫剤を用意していると報じられている。 目撃者の話では、ラングーン中心部のTheingyi市場近くで消防車と殺虫剤運搬車両が目撃された。 1:40p.m South Okklapah地区にあるNgwe Kya Yan僧院(さきほどは寺院としていましたが、正しくは僧院)近くの、 Thitsarロードとセントラル・ロードの交差点で、デモ隊と兵士がにらみ合っている。 USDAおよびSwa Arrshinの隊員が兵士たちの前に立ち、デモ隊と対峙している。 お互いに石を投げつけた。 1:50p.m 目撃者の話では、約400人の学生や若者たちがビルマの悪名高き Insein刑務所に集まっている。 湖畔の自宅で軟禁状態にあったビルマの民主化勢力リーダー、 アウン・サン・スー・チーが、土曜日、Insein刑務所に移送されたとほのめかす報道がある。 1:55p.m デモ隊に催涙弾が打ち込まれた。 二台のトラックに分乗した治安部隊、一台の刑務所車両、メガホンを 積んだ中型の車が一台がBogyoke通りをすごいスピードで通っていくのが見られた。 見ていた人の話では、これらの車両はAnawrattha通りのデモ隊に向かって行ったらしい。 2:00p.m ラングーン市内のデモは少なくとも50,000人にふくれあがり、 彼らが叫ぶ「私たちは成功する、私たちは成功する」という声が ラングーン中心部にこだました。 2:05p.m スーレーでは、治安部隊に殴られて血を流しているデモ参加者たちが 散り散りになって逃げていくのが見られた。 2:20p.m スーレーから逃げたデモ参加者がPazuntaung街区Yekyawに到達。 少なくとも十名がけがをしている。 2:30p.m ラングーン中心部スーレーで治安部隊が発砲。 およそ二十発。 30名ほどの兵士を乗せた5台の軍車両が、スーレーと Anawrattha通りの交差点を封鎖している。 兵士らは住民に対して家から出るなと叫んでいた。 2:37p.m Thingankyun街区のKyaikkasanパゴダ付近、Magahロードで 兵士がデモ隊に発砲したと伝えられている。 ☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀更新 それから、ガーディアン紙によると、兵士の中の軍政に批判的な人たちが 結束し始めたという未確認情報があるそうです。 真偽のほどは見当もつかない、ようですが。 Mizzima News 9/27 から最後の部分の翻訳です。 現在、このページのトップニュースは、日本人フォトジャーナリストの死、です。(kiss-me) ☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀☀更新 3:10p.m(ビルマ標準時) ほかにもラングーン中心部で暴力的な衝突がおきているラングーン市中心部に 向かっているデモ隊の一群が、再び、Traderホテル近辺で治安部隊と衝突。 「四方向すべてから、盾を持った兵士が四本の列になって現れ、 その後には機動隊(Lone Htein)がいて、その後ろの三列目が別の兵士たちだった。 兵士たちは互いに身を寄せて盾の壁を作った。 そしてデモ参加者を力づくで追い散らした。人々がPansodan立体交差の上から見ていた。 そこはデモ参加者が非常に少なかった。たった1000人くらいしかいなかった。 それが今は路上で軍と衝突している」と目撃者はMizzimaに語つた。 「今、兵士が撃っている。そして人々に散会するようにと叫んでいる」と、目撃者は付け加えた。 3:28p.m 治安部隊(Lone Htein)が兵士たちや刑務所の車両とともに Traderホテル付近にいるデモ参加者たちに向かって行進してい る。 兵士はひき続き、散会するようにと警告している。 3:35p.m ある国際援助組織の職員によれば、軍はスーレーでデモ隊に向かって発砲する前に、 たった二分間の時間しか与えなかった。 3:45p.m スーレーパゴダ付近でデモ参加者が殺された「午後2時ごろ、 スーレーパゴダでは市民と僧侶が祈りを捧げていた。 私たちが祈っているあいだ、兵士を乗せたトラックが三台、到着した。 最初に彼らは空を撃ち、次に群集の中に撃ち込んだ。 一発の弾が男性にあたり、彼は即死だった」と、デモ参加者のひとりがMizzimaに語った。 「スーパーワン」というショッピングモールの方角から二台の軍用車両が来て、 Kyaikkasan競技場の前にある国立図書館付近にいた通行人や見物人にむかって発砲した。 3:50p.m Pansoden橋付近でデモ参加者が撃たれて死んだDagonとLathaの Basic Education High School(高校かな?)の学生は早めに帰宅させられた。 ビルマ軍はThar Mwe Kyaitkasan街道を行進していた僧侶を攻撃。 兵士は6回にわたって撃った。 3:55p.m スーレーで外国人が負傷スーレーの銃撃戦で30歳くらいの外国人が負傷した。 財布の中から米国の国旗が発見された。 治安部隊の隊員が彼のビデオカメラを押収。 4:00p.m 学生たちが重傷をおう。 兵士がデモ参加者に向かって発砲した際、Pansodan立体交差の下にいた一人の学生が腹部に銃弾を受けた。 重傷だ。 5:00p.m 群集 僧侶が軍を捕まえたのではない、群衆に封鎖されたのだ 治安部隊は催涙弾を撃ち、Ngwekyaryan僧院を囲む群衆を続けざまに打った。 僧院と外部のコミュニケーションが妨げられており、他の報道が暗示しているのは、 群集が僧院を囲んで軍政職員を中に閉じ込めたということ。 この情報を伝えている間も銃声がはっきりと聞こえた。 5:15p.m もっとたくさんの人がスーレーに集まっている 「今、30,000から40,000人がスーレーに集まっている。 何が起こるのか私たちにはわからない。 現時点では、兵士は上から撃っている。 人々は不幸だし、通りに集まってきている。 たくさんの銃声がする、でも何人死んだのか私たちにはわからない。 国中でNLDのメンバーが逮捕されている。 ほんとうにひどい。 そして、さらに多くの人がデモに加わっている」と目撃者Mizzimaに語った。 5:30p.m Pansodan通りでは兵士たちが群集に向かって撃ち続けている。 しかし、死傷者数は未確認のままだ。 5:40p.m AnawratthaとStrand街道の交差点で一台の車に火がつけられた。 今のところ、火をつけたのが誰だか不明。 6:00p.m AP通信によれば、今日、兵士がデモ隊に発砲した際に、 日本人ジャーナリストが撃たれて死んだ。 6:05p.m South Okklapa街区にあるNgwekyaryan僧院を囲んで抗議していた群集に兵士が発砲した際に、 さらに二人が撃たれて死んだ。 人々はその後、Moe Kaung Kin僧院まで行き、兵士たちに反撃するため、 ガソリンの入ったブリキ缶を手に入れた。 兵士たちは、今朝釈放されたばかりの四人の僧侶をつかまえ、 激しく打ちのめしたにもかかわらず、軍用トラックまで引きずって行った。 6:25p.m Pansodan通りで発砲を見た目撃者の話。 「現在のシナリオは本当にひどい、催涙弾にやられるグループもあれば、 他の様々な方法で追い散らされるグループもある。 兵士は空を撃ったが、45度の角度に構えていたのだから、人に当たる。 兵士は道路を封鎖している。 今は誰もPansodan通りの立体交差付近や、市役所周辺に近づけない。 およそ200,000人いる。 さらに人が集まってきているが、僧侶は少ない。 見たところ、僧侶はたった80人ほどしかいない。 たぶん、当局が昨夜、僧院を襲ったからだろう。 デモ隊があちこちに散らばっているので、この場所全体で実際に 何が起きているのか把握することは不可能だ」と目撃者がMizzimaに語った。 「今、仕立て屋のInnwaの前で撃っている。兵士は銃を撃ち、逮捕もする。 あれはAnawratthaとPansodan通りの交差点だ。 たった今おきたことだが、誰が負傷したのか見なかった。 兵士はかなりの回数、発砲した。デモ隊は今Pazuntaung街区に向かって行進している。 人々は恐れてはいない。 仕立て屋のInnwaの前や、Pansodan交差点付近には、 デモ隊が投石に使ったたくさんの石がころがっているだろう。 Pansoda立体交差から十台の軍用トラックが下りて来た。 トラックは逮捕者でいっぱいだ。そのトラックが立体交差から 下りてきて、Pazuntaungに向かっている。 トラックのあとをSwan Arrshin(一種の治安組織らしい)の車がついて行く。 走れない人たちがたくさん捕まった、特に短パンやスカートをはいた人たちは走れなくてたくさん捕まった。 人々は散り散りになって至るところで走っている。 近くの建物によじ登った人は逮捕されなかった」。 6:30p.m 今夕、抗議行動に参加している学生と兵士がHledan交差点で衝突。 「私たち学生はHledanから来て、Strand街道に達するころには 2,000人から3,000人になっていた。 Hledan側もBakara Road街道側も兵士に囲まれた。 そこで、学生たちは散り散りになって住宅街に逃げ込んだ。 兵士が三度、発砲し、人々を棍棒で打ち始めた。 KyihmyindineにあるSalinグラウンドまで学生たちを追いかけた。 事件現場の住民二人が負傷した」と抗議行動をしていた学生がMizzimaに語った。 「私があなたと話している間も、軍用トラック15台、消防隊のトラック一台、 警察車輌が約20台、Hledanに向かっている」と学生は付け加えた。 7:30p.m ラングーン中心部Pansodan通りのデモは散会した。 軍政はデモ制圧のために新しい連隊を作った。 軍に近い消息筋の話では、数人の司令官が武力行使を拒否したので、軍政の最高権力者タンシェ議長みずから指揮をとっているという。 ラングーンのジャーナリストたちによれば、軍政が地元メディアに プロパガンダ掲載を強いるなか、民間の雑誌のいくつかが、 この命令への反抗を表明するために、雑誌を休刊にした。 8:30p.m 今日の治安部隊によるデモ制圧のなかで殺されたフォト・ジャーナリストはナガイ・ケンジ氏(50歳)。 彼は日本の東京を本拠地とするAPF通信というメディア企業で働いていた。 9:15p.m 国営テレビは今夜、前首都ラングーンで民主化デモに対して行われた武力制圧で九人が殺されたと放送。 そして、デモ隊の11人と兵士31人が負傷したと付け加えた。 |
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私に出来ること・・ビルマ(ミャンマ)の事態に!★10月6日更新!★ゴン太さんのブログ! | seiko | 2007/9/27 15:41 |
» インドに亡命したビルマ人ジャーナリストたちが作ったMizzima News★28日更新 | seiko | 2007/9/27 22:13 |
ケータイ画像の説明。 | seiko | 2007/9/28 1:31 |
9月28日、ビルマ大使館前抗議行動の写真とkiss-meさんからのガーディアンブログの翻訳。 | seiko | 2007/9/29 2:27 |
雨の中をデモ参加者は、1000人を越えていました。KY生さんのデモ報告! | seiko | 2007/9/30 23:31 |
日本ビジュアル・ジャーナリスト協会からの「抗議声明」と「緊急集会」 | seiko | 2007/10/1 10:46 |
5日で終わるビルマ大使館前抗議行動に行ってきました。 | seiko | 2007/10/5 21:11 |
ビルマ大使館前抗議行動に参加したゴン太さんのブログ! | seiko | 2007/10/6 1:32 |
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