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     またひとり戦争の証言者が亡くなりました・・・9月13日に。★写真を一枚追加しました。
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投稿者 スレッド
seiko
投稿日時: 2008/9/17 23:17
管理人
登録日: 2003/9/21
居住地:
投稿: 3623
「戦争は・・・・。」


昨夜書いたページをK子さんの棺の中に納めました。
天国で読んでいるかなぁ?。
ページを読んでくれたAさんから電話をいただき
「K子さん!私!背負ったから・・・」と書いた言葉に
胸が熱くなったと・・・感謝!
今日もたくさん「東京大空襲」で体験したお話を聞かせていただきました。
私は以前に書いたことを思い出しながらK子さんの野辺送りをしました。



「戦争は・・・・。」  大木晴子

「戦争は 終わっていない。」
それは私が2002年に行ったベトナムで
「ベトナム戦争枯葉剤被害―いまだ癒されない傷あと」と
いうビデオに登場する子ども達に会った時に最初に出た言葉です。
戦争の傷痕はずっとずっと続きます。
その子供たちのいる施設は各国の援助で運営されていました。
アメリカは何をしてくれたのだろう。この子ども達に・・・。

1986年にも同じように「戦争は 終わっていない。」と
強く感じた出来事がありました。
それは「核を考える」というテーマで広島の宇品港から旅が始まる
ピースボート に乗ってベラウに行ったときのことでした。
私は1914年第1次世界大戦で日本軍が占領した事が
今でもわかるペリリュー島に行きました。
錆びた大砲、戦車がそのまま放置されていて兵隊さんがかぶっていた
粗末なカブトがあちらこちらに置かれていました。
車で生い茂った樹木の中を行くと、茂みの中からふらっと軍服姿の人が
横切っていくような錯覚を覚えたのをいまでも鮮明に記憶しています。
その島にあるオレンジビーチと呼ばれている砂浜に行った時です。
この浜は、1944年の9月にアメリカ軍が上陸した所です。
浜辺で一緒に旅していた富山から参加していた男性が
煙草を置き線香を手向けていました。



私は横に座りお話を伺いました。
彼は、数年前まで新聞記者をしていました。
自分の受け持ち区域に住んでいる歳をとられたご婦人から託されたことを聞き、
一人息子を失った母親が永い時間を空しい思いで
過ごさなければならない現実を肌で感じました。
「戦争は・・・・」と胸が痛くなりました。
戦争で親を失ったイラクの子供たち!
アメリカの勝手な戦争で子どもを失ったイラクの人たち!
これから、ずっとずっと苦しみ、悲しみが続くことを
思うと息が止まりそうになります。
『いま、私に出きることもっと考えるからね。』って写真で見る子ども達に話しかけ、
「戦争は終わっていない。」と思うのです。(おおきせいこ)

(第1期意見広告運動 事務局だより)で書いたものを少し手直しをしました。
http://www.ikenkoukoku.jp/renraku/tayori-sensou.htm
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題名 投稿者 日時
   またひとり戦争の証言者が亡くなりました・・・9月13日に。★写真を一枚追加しました。 seiko 2008/9/17 0:37
   » 「戦争は・・・・。」 seiko 2008/9/17 23:17

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